慰霊の日『沖縄戦全戦没者追悼式』

しまあっちゃ~

2009年06月23日 19:29

今日は慰霊の日で、沖縄県では国立以外の学校は公休日でした。

と同時に日米安保条約の批准(ひじゅん)書を1960年6月23日に交換し、
その効力が発生した日でもあります。
 
つまり、現在に至る「基地の島」が発生した日です。


沖縄における戦後64年目の慰霊の日の今日、
初めて式典に参列しました。

県内大学生の6割が戦後何年目か知らなかったらしいです・・・

色々な団体が来てますね・・・



VIPがいるので…



「沖縄戦全戦没者追悼式」がオフィシャルな名称のようです。




正午の時報と共に黙祷・・・


VIPの献花が数十名続き
バックに森山良子の「さとうきび畑」が流れていました。

レクイエムバージョンなのか?とっても厳かで始めて聞いた感じでした。


VIPはもちろんこの人も                   SPが多い…




  VIPのスピーチより小学6年生の詩が心に響きました


  平和のいのり
                        小学校 6年 比屋根憲太
石に刻まれた家族の名に
涙を落とす祖母
なんの形見も残っていない石に
声にならない声で
石をさすり
石をだきしめる
小さな声でとても小さな声で
「本当は話したくないサー」
少し首をかしげて
空を見上げる
人さし指の大きさの大きな傷
あごと左腕に残る
戦争の傷あと

祖母は傷の手当てをするために
水くみに行った
防空ごうに姉を残し 母と二人で
そのあとすごい光と音が…
そのまま姉はもどらなかった
「いっしょに連れて行けばよかった」
「ごめんね ごめんね」
と何度も何度も
きたときよりも
石を強くさすり
石を強くだきしめる
ぼくはもう声を上げて泣いていた
そして祖母の背中をずっとさすった
こんな青い空に
こんなおだやかな沖縄に
戦争は似合わない
祖母のくしゃくしゃな涙も
似合わない

そんな祖母はもう今は歩くことが
できない
毎日毎日空を見て
きっと
生きている喜び
生き残った悲しみを感じて
いるのだろう
ぼくは車イスをおして
祖母のいのりを引きつぐ
戦争のない平和な国を



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