2009年06月23日
『鳩間島の小中学校が廃校の危機』
鳩間島に在籍していた、小学生2人と中学生2人の4人兄弟は、
石垣市内に住む母親の体調が悪化したため、
母親の近くで暮らすことになったという。
この突然の「転校」により、鳩間島小中学校は在籍数がゼロになりました。

石垣のお母さんの回復を祈願しつつ、鳩間の思い出を・・・
石垣市内に住む母親の体調が悪化したため、
母親の近くで暮らすことになったという。
この突然の「転校」により、鳩間島小中学校は在籍数がゼロになりました。
石垣のお母さんの回復を祈願しつつ、鳩間の思い出を・・・
人口が70名くらいに増えていると聞いていたので、
生徒も増えていると思ったら…
減っていたのは残念
再び「子乞い」を行わなければ廃校の可能性が大きいかも…
鳩間については少し想い出があるので、
今回は沖縄ありんくりん…ということで想い出を綴ります(^^;)
先ず「子乞い」(こごい)と言う言葉の由来…
1982年生徒一人の卒業により廃校の危機を
”里子”を募り存続させた島として、
コミック誌「ビッグコミックスピリッツ」の「光の島」(尾瀬あきら作)と
日本テレビ系列の連続ドラマ
「瑠璃の島」(2005年4月放映開始)で話題になり
その原作本が「子乞い」なのです。
※作者森口 豁(もりぐち かつ)
私は、10年くらい前に前述のコミック誌「光の島」をたまたま読み、
その舞台となった島に興味を持ち「子乞い」を読み やがて「鳩間島」に憧れを抱くようになり、とうとう行ったのです。
そういえば「瑠璃の島」は見なかったなぁ~・・・
当時私は内地の地方に住んでいたこともあり那覇直行便が通年は無く、
那覇空港でさえどこか経由しなければなりませんでした。
それでも20年前と比較するとまだアクセスがし易くなったので、
年に3~4回か5~6回は来沖していたのですが、
鳩間は今と違いアクセスが非常に悪かったのです。
当時の航路は曜日運航や時間の関係で
私にとって行く手を阻んでいたのです…(大袈裟?)
それでも、何とか調べて「郵便船」が基本的には
上原港から毎日島へ行くことが分かった時は
思わず「ヤッター!行ける!!」と叫んでしまいました(^^;)
やはり現在より情報は少なく、まるで島への一途な片思いですね(^^;)
天候は
「晴れ男」なので勝手に何とかなると思い込んでいました。
海が荒れれば「郵便船」も出港しないのに・・・
さて、航路が決まれば宿の手配です。
それは航路が決まる前から決めていて、ペンション「マイトウゼ」
当時はやはり選択肢が少なく行くきっかけが「子乞い」だったので、
縁(ゆかり)のある宿にしようと思ったらビンゴでした
オーナーは里親であり里子がいて、
オーナーのお父さんが廃校の危機を救った当事者の一人で
当時の話を聞けるかもしれない…という事。
確信は無かったけど苗字が同じだったのでそう決め付けた。(笑)
(結果としてはすべてビンゴでした!)
そしてペンションの部屋とは別に、
海際で食事が出来るというロケーションが気に入ったのです
…ということは、島酒を波の音を聞きながら飲めるかも!?
一泊だけでも妄想が暴走し気合が入ります!(笑)
さて、いよいよ鳩間島上陸からの話しです
本当に「郵便船」は出港するのか不安な気持ちで
石垣(前泊)から西表島上原港に向かいました。
港の食堂が連絡先になっていて、出港するとは電話で聞いたけど…
キター~~\(^o^)/ さぁ出港だ! 到着!!(ハヤッ)

そう10分くらいで到着します。 因みに片道千円でした。
別の方法は漁船のチャーターで片道5千円らしいですよ…
到着したら宿のオーナーが迎えに来てくれていた。
お世話になりま~すm(__)m
宿は港からそう遠くない。
想像通りペンションとは名ばかり(失礼)で
TVはなくトタン造りの部屋にベッドが置いてあるだけだった。

夜はヤール~(ヤモリ)がキッキッと鳴き挨拶にきてくれました(笑)
荷物を置き昼食が出るというので、
早速憧れの「海辺の食卓」でご馳走になりました。

島には売店が1軒だけで食堂もないので、3食付(5,500円)なのです。
先客が一人いて、何と釧路からだと言う!
お近づきの乾杯をしようということで島唯一の売店へビールの買出しへ

現在は食堂もあり売店も増えている模様
さて、島には一周道路があり3Km以上 というので
島を半周することにした(時間の都合(^^;)
先ずは北側つまり港の反対側へゆっくり歩きながら向かうことに…
途中鳩間中森に上った。

平坦な島の唯一の高台?で標高34mです。

鳩間港と西表が近くに見えます。 灯台もありました。
途中ガサっという音にびっくりしてその方向を見ると
どうやら野生の山羊のようです
島の北へ到着したので西側へまた歩き始めた。
遅い夏休みの9月だったので、暑い!かなり熱い!!
水を持ってきて良かったし一周をあきらめて良かった(^^;)
途中、外周道路から海辺に行けそうな所は行ってみた。(道が無い)
海の美しさに感動して涙が出た・・
後になって写真を撮っていないことを悔やんだけど
その時はもう一度来ようと思った。
牛も何故かのんびりしてるように見えます(放牧?)
もう少し歩きたかったけど、水が無くなったのであきらめました。
宿に着いてシャワーを浴びて夕食の時間には少し早いけど
ビールを飲みたいので食事の場所へ行く事にしました(笑)
いよいよ楽しみの海辺の食卓で宴です!
途中の風景をパシャリ…

まだ、手をあまり加えていないと思われる古民家もあります。
到着~… といっても3分くらいの場所(^^;)

昼はよく感じ取れなかったけど、イメージ通りでした

宴のはじまり始まり~

夜の帳が下りて何故か島の人も集まり
宿のオーナーも島酒がすすみ、盛り上がってまいりました~(笑)

酔っちまって手ブレです(^^;)
実は写真に写っていないのですが、
島の方が10名くらい集まって、3時くらいまで宴は続きました
とっても楽しく、とっても酔った頭で考えさせられました…
島で生きてきたという事
島で生きているという事
島で生きていかなければならないという事
その為には学校が必要だと言う事
その為には子供を受け入れなければならないという事
その為には現金収入もある程度必要だという事
中にはないちゃーの方もいらして鳩間に来た理由
鳩間でなければならなかった理由も話して頂きました。
今なら理解できます・・・
でも・・・
学校は必要だとは思うものの
ある程度有名?になった島の現状が分からないだけに
「里親制度」を同様に行う事はいささか疑問です。 その前に島民の意向はどうなのでしょう?
翌朝は元気に朝食を食べ、出港まで散策に行く事にしました
簡易郵便局がありました。
オーナーのお父さん(里親の原点を作られた方、故人)が
初代局長だったそうです。

水道記念の碑もありました。(1980年水道開通…)
問題?の小中学校へ到着~


建物とグランドは共用です。

現在の教職員は10名ということですが、廃校になれば…
学校の近くにヘリポートがありました。
残念ながらタイムアップです
残り半周をしてもっと海を見たかった…
バラス島にも行きたかった…
等々心残りはいっぱいある・・・
でも、絶対又来よう…
宿のオーナーにももっと話を聞きたかったけど、
「生きていればいつかまたこれるさぁ~」と言ってくれた言葉に感謝!
郵便船が見えなくなるまで手を振ってくれた…

また絶対来るよ「鳩間島」
…と思いつつ早10年、いまだに行けません・・・(--;)
現在は那覇在住なのですが、益々遠く感じるようになってきた昨今
昨日の新聞でタイトルの文字が飛び込んできて
びっくりしました。
かといって、何か出来る訳でも何かしようとしている訳でもありません。
個人的には、今はただ学校の存続を願うばかりです。
子供がいないと島に元気がなくなる気がします。
今度運動会があるそうで、島民と職員だけで行うそうです。
島民も楽しみしている行事ですが
生徒がいない運動会は寂しすぎます・・・
慰霊の日の今日アップするのも躊躇われましたが
アップする事にしました。
慰霊の日の式典に初めて参列しました。
長々と読んでいただいてありがとう御座います。
生徒も増えていると思ったら…
減っていたのは残念

再び「子乞い」を行わなければ廃校の可能性が大きいかも…

鳩間については少し想い出があるので、
今回は沖縄ありんくりん…ということで想い出を綴ります(^^;)
先ず「子乞い」(こごい)と言う言葉の由来…
1982年生徒一人の卒業により廃校の危機を
”里子”を募り存続させた島として、
コミック誌「ビッグコミックスピリッツ」の「光の島」(尾瀬あきら作)と
日本テレビ系列の連続ドラマ
「瑠璃の島」(2005年4月放映開始)で話題になり
その原作本が「子乞い」なのです。
※作者森口 豁(もりぐち かつ)
私は、10年くらい前に前述のコミック誌「光の島」をたまたま読み、
その舞台となった島に興味を持ち「子乞い」を読み やがて「鳩間島」に憧れを抱くようになり、とうとう行ったのです。
そういえば「瑠璃の島」は見なかったなぁ~・・・
当時私は内地の地方に住んでいたこともあり那覇直行便が通年は無く、
那覇空港でさえどこか経由しなければなりませんでした。
それでも20年前と比較するとまだアクセスがし易くなったので、
年に3~4回か5~6回は来沖していたのですが、
鳩間は今と違いアクセスが非常に悪かったのです。
当時の航路は曜日運航や時間の関係で
私にとって行く手を阻んでいたのです…(大袈裟?)
それでも、何とか調べて「郵便船」が基本的には
上原港から毎日島へ行くことが分かった時は
思わず「ヤッター!行ける!!」と叫んでしまいました(^^;)
やはり現在より情報は少なく、まるで島への一途な片思いですね(^^;)
天候は

海が荒れれば「郵便船」も出港しないのに・・・
さて、航路が決まれば宿の手配です。
それは航路が決まる前から決めていて、ペンション「マイトウゼ」
当時はやはり選択肢が少なく行くきっかけが「子乞い」だったので、
縁(ゆかり)のある宿にしようと思ったらビンゴでした

オーナーは里親であり里子がいて、
オーナーのお父さんが廃校の危機を救った当事者の一人で
当時の話を聞けるかもしれない…という事。
確信は無かったけど苗字が同じだったのでそう決め付けた。(笑)
(結果としてはすべてビンゴでした!)
そしてペンションの部屋とは別に、
海際で食事が出来るというロケーションが気に入ったのです
…ということは、島酒を波の音を聞きながら飲めるかも!?
一泊だけでも妄想が暴走し気合が入ります!(笑)
さて、いよいよ鳩間島上陸からの話しです
本当に「郵便船」は出港するのか不安な気持ちで
石垣(前泊)から西表島上原港に向かいました。
港の食堂が連絡先になっていて、出港するとは電話で聞いたけど…
キター~~\(^o^)/ さぁ出港だ! 到着!!(ハヤッ)
そう10分くらいで到着します。 因みに片道千円でした。
別の方法は漁船のチャーターで片道5千円らしいですよ…

到着したら宿のオーナーが迎えに来てくれていた。
お世話になりま~すm(__)m
宿は港からそう遠くない。
想像通りペンションとは名ばかり(失礼)で
TVはなくトタン造りの部屋にベッドが置いてあるだけだった。
夜はヤール~(ヤモリ)がキッキッと鳴き挨拶にきてくれました(笑)
荷物を置き昼食が出るというので、
早速憧れの「海辺の食卓」でご馳走になりました。
島には売店が1軒だけで食堂もないので、3食付(5,500円)なのです。
先客が一人いて、何と釧路からだと言う!
お近づきの乾杯をしようということで島唯一の売店へビールの買出しへ
現在は食堂もあり売店も増えている模様
さて、島には一周道路があり3Km以上 というので
島を半周することにした(時間の都合(^^;)
先ずは北側つまり港の反対側へゆっくり歩きながら向かうことに…
途中鳩間中森に上った。
平坦な島の唯一の高台?で標高34mです。
鳩間港と西表が近くに見えます。 灯台もありました。
途中ガサっという音にびっくりしてその方向を見ると
どうやら野生の山羊のようです

島の北へ到着したので西側へまた歩き始めた。
遅い夏休みの9月だったので、暑い!かなり熱い!!
水を持ってきて良かったし一周をあきらめて良かった(^^;)
途中、外周道路から海辺に行けそうな所は行ってみた。(道が無い)
海の美しさに感動して涙が出た・・
後になって写真を撮っていないことを悔やんだけど
その時はもう一度来ようと思った。
牛も何故かのんびりしてるように見えます(放牧?)
もう少し歩きたかったけど、水が無くなったのであきらめました。
宿に着いてシャワーを浴びて夕食の時間には少し早いけど
ビールを飲みたいので食事の場所へ行く事にしました(笑)
いよいよ楽しみの海辺の食卓で宴です!
途中の風景をパシャリ…
まだ、手をあまり加えていないと思われる古民家もあります。
到着~… といっても3分くらいの場所(^^;)
昼はよく感じ取れなかったけど、イメージ通りでした

宴のはじまり始まり~

夜の帳が下りて何故か島の人も集まり
宿のオーナーも島酒がすすみ、盛り上がってまいりました~(笑)
酔っちまって手ブレです(^^;)
実は写真に写っていないのですが、
島の方が10名くらい集まって、3時くらいまで宴は続きました

とっても楽しく、とっても酔った頭で考えさせられました…
島で生きてきたという事
島で生きているという事
島で生きていかなければならないという事
その為には学校が必要だと言う事
その為には子供を受け入れなければならないという事
その為には現金収入もある程度必要だという事
中にはないちゃーの方もいらして鳩間に来た理由
鳩間でなければならなかった理由も話して頂きました。
今なら理解できます・・・
でも・・・
学校は必要だとは思うものの
ある程度有名?になった島の現状が分からないだけに
「里親制度」を同様に行う事はいささか疑問です。 その前に島民の意向はどうなのでしょう?
翌朝は元気に朝食を食べ、出港まで散策に行く事にしました
簡易郵便局がありました。
オーナーのお父さん(里親の原点を作られた方、故人)が
初代局長だったそうです。
水道記念の碑もありました。(1980年水道開通…)
問題?の小中学校へ到着~
建物とグランドは共用です。
現在の教職員は10名ということですが、廃校になれば…
学校の近くにヘリポートがありました。
残念ながらタイムアップです

残り半周をしてもっと海を見たかった…
バラス島にも行きたかった…
等々心残りはいっぱいある・・・
でも、絶対又来よう…
宿のオーナーにももっと話を聞きたかったけど、
「生きていればいつかまたこれるさぁ~」と言ってくれた言葉に感謝!
郵便船が見えなくなるまで手を振ってくれた…
また絶対来るよ「鳩間島」
…と思いつつ早10年、いまだに行けません・・・(--;)
現在は那覇在住なのですが、益々遠く感じるようになってきた昨今
昨日の新聞でタイトルの文字が飛び込んできて

かといって、何か出来る訳でも何かしようとしている訳でもありません。
個人的には、今はただ学校の存続を願うばかりです。
子供がいないと島に元気がなくなる気がします。
今度運動会があるそうで、島民と職員だけで行うそうです。
島民も楽しみしている行事ですが
生徒がいない運動会は寂しすぎます・・・
慰霊の日の今日アップするのも躊躇われましたが
アップする事にしました。
慰霊の日の式典に初めて参列しました。
長々と読んでいただいてありがとう御座います。
Posted by しまあっちゃ~ at 16:37
│ありんくりん